人生

その節目に立ち考える

自らの存在そして進むべき道

想いは家系辿る

これまでの人生親そして家というものが

どれほどまでに

心の支えになってきたことか

家紋の描かれた一枚のふくさを見るたびに

思い出が幾重にも巡り来る

家系を知る慶び

尊き思恵の継承を願い

わが子へ最上の愛を込めて

ふくさを織る

ふくさ

ふくさという文字と意味について

ふくさという文字は「袱紗」、「服紗」、「富久紗」、「帛紗」、「包袱」、「袱子」、「幅紗」、「和巾」、「帛子」、「覆紗」、「覆茶」、「不洗布」、「帛絹」、等の文字が、古来よりの文献とみられています。現在では、「袱紗」、「帛紗」、「富久紗」が多く使用されています。

ふくさという言葉は現在では名詞化していますが、もとは形容詞であって、「柔らかい」「ふっくらとした」と意味で古くは錦や、綾などの裂に対して、羽二重や綸子などの柔い裂でつくった事から「ふくさ」すなわち「柔らかいもの」と呼ばれていました。

ふくさのはじまり

日本人には昔から贈答という習慣があります。今でいう人間関係を深め、交際の持続のため、贈答(進物)が行事と共に各階層間で行われてきました。ふくさはこの贈答と深い関係があると考えられています。

文献によれば、人生における行事の中でも特に元服と婚礼が重視されており、贈答品に「ふくさ」が使われたと書き加えられています。

徳川初期における行事の贈りものは、紙にて包み水引を掛け献上台にのせ、そのまま贈るのを本式としました(小笠原流、伊勢流の儀式)。

しかし、贈る途中で汚れがつかない為と体裁上裂地で覆い、又は風呂敷様のもので包む事が行われていたが、先方に差し出す時は、必ず取り除いて贈るのが習わしでした。その後、何時となく覆い裂を掛けたまま贈るようになりました。

このように物品の上に塵よけとして掛けておく方形布帛の覆いが「ふくさ」のはじまりです。

柔らかい裂地で覆いとして使用されてきた「ふくさ」も時代の移り変わりと共に変わってきました。徳川時代も中期以降になると太平の世の中となり、文化が進み、風俗風習も驕奢、華美になり、覆い裂も贅沢なものを使うようになりました。

元禄の頃には、武家社会において重んぜられて来た慣例が一般庶民の社会生活の中にも取り入れられ一つの形式にこだわらずに発展してきました。この頃になると、覆い裂に裏を附けた現在の「ふくさ」と同様なものが見受けられるようになりました。

さらに明治以降になると、武家社会の崩壊により、世相は一変し、殖産興業の政策により、染織技法も急激に発達し従来の塩瀬や縮緬等の柔らかいものの外綴織やビロードの生地によっても織られるようになりました。

その為、「ふくさ」の模様も多種多様にのぼり、慶祝模様にも工夫がからされ、より豪華になってきました。

また次には贈答品の内容、性格によっても「ふくさ」の大きさが分化され、幸、不幸により使い分ける為、これを紋様等で分けるようになりました。

ふくさの使い方

1. 定紋入広蓋に目録・家族書・親族書を祝儀台にのせ、広蓋の中央にのせます。

2. その上に掛けふくさを掛けます。この時必ず定紋を表にして掛けます。

3. 次にそれを慶祝柄のちりめんの風呂敷で包みます。これを中包みといいます。

4. 次にこれを定紋入りの風呂敷で包みます。包み方は平包みにし定紋が表に出るように包みます。これを外包みといいます。

このような外包みの状態で先方へ持参します。先方では風呂敷はとりのぞき、広蓋に目録・家族書・親族書をのせ、掛ふくさを掛けた状態で定紋が先方様に対して正面になるようにして差し出すのが正しい儀礼であり様式となっています。